産まれました!

ようやく産まれました!
2630gの男の子。
今日の15:57誕生です。
母子ともに健康です。


かなり大変な出産だったんですが、それはまた後日書きます。
今日はとりあえず第一報と感想を。


人が一人産まれてくるっていうのは大変なことを実感しました。
命って本当に大切なものだって思いました。


僕とミチの子どもとして生まれてくれてありがとう。
大切に育てるよ。

サカつく

サカつくが出るのですよ。
3月末に。
ヨーロッパバージョンで。


ドリキャス版からほぼ全作やっています。
一番はまっていたときの生活は、それはもうひどいものでした...


最近はゲームを買ってもやる時間がないし、自己制御もできるようになったので、そんなにやらないと思うのですが、それでも買うでしょう。
予約しちゃおうかな。


買う前のこういうドキドキ感が一番楽しいですね。
実際に手に入ると、楽しいけどアラも見えるし。


まあ、とにかく楽しみですな。

公立高校入試問題(国語)

今日、家に帰ると新聞に出た公立高校の入試問題がテーブルにあった。
彼女が取っておいてくれたようだ。「こういうの好きだと思って」


確かに好きだ。
こういうのやIQテストなど、クイズみたいで楽しい。


その中に気になる国語の問題があった。
話がかみ合わない会話の例として挙げられている文章。

母 「お帰りなさい、今日のテストはどうだった?」
息子「ああ、腹へったー、夕飯なに?」
母 「テスト終わったからって気を抜いちゃだめよ、できなかったところ反省して次に向けないと」
息子「あっ、いいもんあるじゃん、ケーキ買ってきたの?」
母 「高子おばちゃんが来たんだけど、聡くん家庭教師頼んでるんだってよ。うちも考えてみようか?」
息子「えっ、全部食べたの?ひどすぎー」


お互いの言うことを聞いていないわけではないのだが、それに対しての受け答えをせずに自分の関心のある話題に終始している。

最後の文章に「受け答えをせずに自分の関心のある話題に終始している」とあるけど、これは正しい解釈じゃないように思うのだけど。


この会話からは「母親は息子の試験の様子が聞きたい。でも多分よくない内容を予想しており、家庭教師の話を切り出そうと思っている」ということがわかる。


また、息子の方は「試験のことについては触れられたくない。別の話題に変えて欲しい。家庭教師も興味はない」という気持ちがわかる。
さらにおなかが空いているという情報も伝わっている。


コミュニケーションを「相手に伝える情報量」と考えると、心理的な情報までも含めて伝えていて、かなりよいコミュニケーションのように思う。
「直接的に返事をしない」ことによって「受け答え」をしている、とも言えると思うし。


このやりとりで、息子が「うん、がんばったつもり」などと答えたら、それはかみ合っているように見えるけど、実のところ、がんばったのかがんばらなかったのか全然わからない。情報として得られるものがとても少ない会話であり、結局のところあまりよいコミュニケーションではないように思う。


僕は、表面上かみあっていることは必ずしもよいコミュニケーションじゃないと思っている。
それよりも、お互いの心理が伝わるやりとりの方がコミュニケーションとしては大事なのじゃないかと。表面上は食い違っているようでもね。


だから、関心のないことに「うん、うん」なんて相槌打って、適当に質問して話をするよりも、この問題にあるように、自分の関心があることを話し、関心のないことについては返事をしない、というのも立派なコミュニケーションだなあ、と。


というようなことを彼女に話したら「へそまがりねぇ」なんて言われた。
そうかもねぇ。


でもやっぱり、円滑そうに見えて実のない会話より、この親子の会話の方がよっぽどよいコミュニケーションだ、と思うんだけどなぁ。

鼻うがい

どうもちょっとだるいのが続いている。


扁桃腺あたりが痛い。子どもの頃によく扁桃腺をはらしていたので、それが出ているよう。
そこで、以前聞いた「鼻うがい」なるものをやってみました。


これ、塩水を鼻から入れて口から出すもの。
ちょっと温めておかないと、プールで鼻に水が入ったときのように痛いらしい。


一回だけやったことがあるんだけど、そのときは鼻にうまく入らなくて、横から漏れる。
なので今日はお風呂で挑戦。


普通にやると痛みは全然なし。
でもやっぱりうまく入らない...
だだ漏れ。
そして、どうしても飲んでしまう...


一応鼻を水が通っていったので、心なしかすっきりしたと思います。
が、本当にこのやり方で合ってるのか不安。
本当の鼻うがいのやり方を知ってる人がいれば教えてくださーい。


そして、このだるさが花粉症じゃないことを祈る。

ニートとフリーターは違う

R25にニートについての記事がありました。


これによると「ニート増加の主たる理由は働きたい希望はあるけど、具体的な求職活動をしていない層の増加によるところが大きい」とのこと。


で、「逆に、そもそも働く意欲がない人や働く必要のない人という層は、ここ10年でほとんど変化がない」
「したがってニートの増加は働きたいのに働けない状況になったこと」つまり「経済環境や労働市場こそが主要因だ」ということらしい。


って、この文章、論理が破綻してると思うのは僕だけ?
「具体的な求職活動をしていない層」は「本当には働きたいと思ってない人たち」つまり「そもそも働く意欲がない人」に思えるんだけど。


だって働く気があるなら求職活動するでしょう。
行動しなければその気がないのと一緒でしょ。


ニートとフリーターは僕はこの点で大きく違うと思う。
フリーターは求職活動という行動を起こし、実際に働いている。
ニートは、そんな努力も払わずに親の世話になっている。


だから、ニートとフリーターを一緒に論じるべきではないと思う。


ニート問題はいろいろな原因があると思うけど、僕が一番大きいと思っているのは家庭の問題。
子どもが働かなくても普通に生活することを親が許していることが最大の要因に思えます。


仕事に対して「自分に合わない」「好きじゃない」「好きな仕事を楽しくやりたい」なんてことを言ってえり好みをしているのが、僕には許せん。それを親が許しているのがもっと許せん。


食べるものがなければ、ニートだなんだ、と言ってはいられないはず。
働かなければ食べられない、ということをきちんと教え、親がそう行動する、つまり働かないなら食べさせない、住まわせないようにするべきでしょう。


僕はそれが子どもに対する本当の親の優しさであり愛情だと思います。

10年ぶりに

大学の先輩から電話がありました。
同じサークルの人で、今度集まるからみんなに声をかけているとのこと。


いろいろとお世話になった先輩で、懐かしい声でした。
いまだに国立に住んでいるらしい。


大学の頃、大学の帰りにそのまま先輩の家に行ったりしてましたね。
そのとき住んでいたところからほんの数十メートルしか離れていないところに住んでいるとのこと。


あの街もいろいろと開発があったと聞いていたんだけど、どうなってるんだろう。
そういう話も聞いてみたい。


集まるのは男ばっかりなんだけど、皆がどんな風になっているんだろう。
楽しみですね。