お湯をわかす派

カップラーメンを食べるとき、家に湯沸しポットがあるのだけど、なんとなくそれを使いづらい。
いつもやかんで沸騰させてそのお湯を使ってます。


自分でもなんでそうしてるんだろうと思ってたんだけど、今日ふと思い当たることが。


子供の頃、親が働いてて、昼食がククレカレーだったことがありました。
あっためなきゃいけないんだけど、子供だからガスは危ないと思ったのでしょう、ポットのお湯でククレカレーを入れてあっためることになってました。


それがね、なんかぬるかったんですよ。
沸騰させて温めてるわけじゃないからしょうがないのかもしれないし、もしかしたら熱湯だと危ないって親が心配してくれたのかもしれないです。
でもまあ、お湯が温かくないからククレカレーも温まらず。
したがって、あんまりおいしくもなく。


ってなことがあったなあ、とふと今日思い出しました。
今までこんなことを考えたこともなかったんだけど、たぶんこの出来事から、ポットのお湯を信用しなくなったんじゃないかと。
そして、できるだけ沸騰させて使いたい、という欲求があるのじゃないかと思います。


自分では意識してないけど、実は昔のこういう出来事が自分の行動に影響を与えてることって、たくさんあるんだろうなぁ。