コップ半分の水

最近ふと思いついて考えたこと。


昔、何かの本でこんな話を読んだことがあります。
「コップ半分に入っている水がある。これを「もう半分しかない」と捉えるか「まだ半分ある」と捉えるかで全然変わる。どうせなら「まだ半分ある」と考えよう」


言っていることはわかるし、前向きにがんばろう、っていうメッセージだから悪いことではないのだけど、なにか釈然としないものを感じました。
なにが釈然としないのかを考えてみると「まだ半分ある」と考えろって一方的なところかな、と。


半分の水を「まだある」と捉えた方がよいのか「もうない」と捉えた方がよいのかは状況によると思う。
いつでも楽観的すぎてもだめだし、いつでも悲観的でもだめ。
自分や周囲の環境によって、同じ物事でも危機感を持たないといけないこともあれば、ちょっとのんびり構えた方がよいときもあるよね。


そう考えてみると、大事なのは「ある物事をどう捉えるか」の前に「その物事が置かれている状況はどうなっているのか」を適切に的確に把握する力だろうと思う。
「状況把握力」かな。


この「状況把握力」を元にして、今はどう捉えるかを「判断」すべき。
やみくもに「前向きに考える」っていうのは決していいことではないと思う。


そういえば、僕は会社勤めしてるときに新入社員・中途社員候補者の面接によく出てて、そのときに重視してたのは、まさにこの「状況把握力」でした。
今現在、その人が「どのような能力を持っているか」ではなく、「どのような能力を持っていると本人自身が捉えているか」というのを重視してました。


そりゃ、能力があればあった方がいいのだけど、能力がないことよりも、その能力と自己認識している能力がずれている方が仕事上では不都合なことが多いです。


能力があるのに、自分の能力がないと思ってる人は、周囲から「なんでやれるのにやらないんだろう」って思われて、お互いにいらいらする。
能力がないのに、自分の能力があると思ってる人は、周囲から「なんでいつも無茶なことをするんだろう」って思われて、これもお互いにいらいらする。
こういうのって、なかなか直せないところだから、このずれは結構きついです。


自分の能力を適切に把握していれば、自分ではできないときには助けを求めることもできるし、なにを今勉強しなきゃいけないかを自分で理解することができる。
だから自律的に活動し、成長できる人が多い。


「今現在のスキル」は重要だけど、それだけ見てると結構はずれるなあって感じることが多かったので、こんなことを考えてました。


と、ここまで書いてきて、なんか散漫になってきた...


うーんと、要は、同じ物事でも、状況によって捉え方を変える方が適切だろうってこと。
いつでもこういうやり方、というのではなくて、今のこの状況ならこっちの方が適切なんじゃないか、って常に状況を見極めようとすることが大事かなぁ、と。


ちとまとまりがないですが、ま、もともとぼやぼやと考えたことなので、今日はこんなところで。