公立高校入試問題(国語)

今日、家に帰ると新聞に出た公立高校の入試問題がテーブルにあった。
彼女が取っておいてくれたようだ。「こういうの好きだと思って」


確かに好きだ。
こういうのやIQテストなど、クイズみたいで楽しい。


その中に気になる国語の問題があった。
話がかみ合わない会話の例として挙げられている文章。

母 「お帰りなさい、今日のテストはどうだった?」
息子「ああ、腹へったー、夕飯なに?」
母 「テスト終わったからって気を抜いちゃだめよ、できなかったところ反省して次に向けないと」
息子「あっ、いいもんあるじゃん、ケーキ買ってきたの?」
母 「高子おばちゃんが来たんだけど、聡くん家庭教師頼んでるんだってよ。うちも考えてみようか?」
息子「えっ、全部食べたの?ひどすぎー」


お互いの言うことを聞いていないわけではないのだが、それに対しての受け答えをせずに自分の関心のある話題に終始している。

最後の文章に「受け答えをせずに自分の関心のある話題に終始している」とあるけど、これは正しい解釈じゃないように思うのだけど。


この会話からは「母親は息子の試験の様子が聞きたい。でも多分よくない内容を予想しており、家庭教師の話を切り出そうと思っている」ということがわかる。


また、息子の方は「試験のことについては触れられたくない。別の話題に変えて欲しい。家庭教師も興味はない」という気持ちがわかる。
さらにおなかが空いているという情報も伝わっている。


コミュニケーションを「相手に伝える情報量」と考えると、心理的な情報までも含めて伝えていて、かなりよいコミュニケーションのように思う。
「直接的に返事をしない」ことによって「受け答え」をしている、とも言えると思うし。


このやりとりで、息子が「うん、がんばったつもり」などと答えたら、それはかみ合っているように見えるけど、実のところ、がんばったのかがんばらなかったのか全然わからない。情報として得られるものがとても少ない会話であり、結局のところあまりよいコミュニケーションではないように思う。


僕は、表面上かみあっていることは必ずしもよいコミュニケーションじゃないと思っている。
それよりも、お互いの心理が伝わるやりとりの方がコミュニケーションとしては大事なのじゃないかと。表面上は食い違っているようでもね。


だから、関心のないことに「うん、うん」なんて相槌打って、適当に質問して話をするよりも、この問題にあるように、自分の関心があることを話し、関心のないことについては返事をしない、というのも立派なコミュニケーションだなあ、と。


というようなことを彼女に話したら「へそまがりねぇ」なんて言われた。
そうかもねぇ。


でもやっぱり、円滑そうに見えて実のない会話より、この親子の会話の方がよっぽどよいコミュニケーションだ、と思うんだけどなぁ。